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1995年

語り合おう
天神山古墳をつくた
我等の祖先の
偉大な智力と労力を

語り継ごう
小沼庄左衛門以下18人の
「日向義民」の流した血と
悲憤の涙を

語り継ごう
小作人組合の代表が
議会で多数派になり
「無産村政」を実現させた
強戸村の民主村政の伝統を

語り合おう
共に生み出す党を
どういう社会でくらしたいか
どういう世の中をつくりたいか

語り合おう
希望を語り合い
夢をふくらませ
未来を語り合おう



災害 今回の阪神淡路大震災では死者5420人、2万6000
人を超えた負傷者、30万人近い人たちが住む家を奪われま
した。被災された方々に対し、心よりおくやみとお見舞いを
申し上げます。不自由な生活を強いられ、困難な事態に直面
している様子は涙なしには見られません。これから復興への
長い道程のことを想う時、他人事でない気持ちでいっぱいで
す。誰しも今度の震災の様子をテレビで見て、自分の家の防
災のことを考えなかった人はいないでしょう。隣近所との付
き合いを大切にすることや、水、食料、燃料のこと、家具の
上に積み上げない、タンスや本箱のある室では就寝しない、
市や県の防災はどうなっているのだろう・・・等々。21階
建ての太田市新庁舎は防災の面からみて、どうなのだろうと
いう不安が当然おこってきます。「太田周辺の地盤はしっか
りしているから大丈夫」という人がいますが、活断層はいた
る所にあるとみた方がよいようです。

遊歴算家 高林の真言宗長勝寺の境内にある地蔵堂の前に「算学先生
墓」という石碑が建っています。草木ダムの近くの小中村出
身で「遊歴算家」といわれた和算家の金子茂三郎の墓碑であ
る。何故ここにあるかといえば、彼は寺子屋の先生で、地元
の古老の話によれば、この地蔵堂の南側にあった家で、子弟
に和算を教えていたようです。明治34年の「上野名跡図誌
」の「絵図」には「寮」と書かれた家があります。実際の墓
はここより500メートル位南の墓地に埋葬されています。


金子茂三郎の人となりは129字に刻まれた墓誌銘でみると、
「温厚」「質朴」な人柄で、村人の病気なども看てやったり
して慕われ、多数の門人もいたようです。また、大変お酒の
好きな人で、服装はかまわない風変わりな様子をしておった
ようです。明治10年12月22日に川に落ちて溺れて不慮
の死を遂げました。師の死を悼んで、弟子たちが金子茂三郎
の名前を後世に残すために、この墓碑を建てたものです。

お花見 いろんな花が咲きはじめました。お花見の季節がやってき
ました。私共の隣組では、すべて手作りといったお花見をは
じめてから五年になります。料理はもちろんのこと、隣組の
一員である家の人の造り育てた庭を利用させてもらってのお
花見です。「こんな楽しいお花見を隣組でやっているのは他
にないだろうね」「そうだね、こういう和気あいあいの隣組
は災害にあった時には、皆で助け合っていけるんだろうね」。
お花見の季節になるといつも頭に浮かんでくることが二つあ
ります。ひとつは西行法師の「ねがはくは花のもとにて春し
なんそのきさらぎの望月のころ」という和歌と、もう一つは
枯木に花を咲かせる昔話「花咲か爺」のお話です。黒っぽい
樹木の梅や桜はまるで枯木に花が咲いているように見えます
よね。新芽が出て、葉を大きく茂らせてから花を咲かせるの
ではなく、その逆の現象を見て、そのおどろきの中から花咲
か爺の昔ばなしが生まれでたのですね。



サツマイモ(甘薯)「薩摩芋作様一件書付」(太田市史より)。この書付は享保
18年(1733年)8月、幕府代官後藤庄左衛門に提出さ
れた、只上村名主定四郎のサツマイモに関する研究報告書で
す。甘薯といえば青木昆陽という名前がすぐうかぶが、彼が
「蕃薯考」という本を出して、サツマイモについて研究発表
をしたのが享保20年であるから、定四郎よりも2年も後の
ことである。定四郎は幕府より種芋として20個受けとり、
苗床のつくり方、蔓の植え方、どういう土地に適しているか、
栽培の仕方、芋酒造り、効能、味噌の造り方など詳しく記述
しています。彼は救荒作物としてのサツマイモだけでなく、
農業全般にわたってよく研究し、書物もたくさん読んでおり、
大変な勉強家であったようです。特に養蚕や菜種油をとる菜
種の栽培については、力をいれていました。「和算」につい
ても優れた能力をもち、郷土が生んだ偉大な人物として、も
っともっと評価されてよいはずです。

クヌギ林 春はウグイス、初夏はカッコウ、秋はコオロギやスズムシ。
これらの自然の音楽に囲まれながら、夏の草取りは大変つら
いけれども、家族の食べる野菜はほとんど自家生産していま
す。この畑のある「東毛病院」周辺は、武蔵野の雑木林の主
要樹種である「クヌギ林」の残っている大変緑豊かな地域で
す。しかも、朝子塚古墳に代表される高林古墳群という貴重
な文化遺産のある土地でもあります。こういう環境のなかで、
種を播きながら自然に畏敬し、収穫しながら自然の恵みに感


謝し、老境に入って土に親しめることのできることに感謝し
つつ土を耕しています。「おかめどんぐり」といわれる普通
のどんぐりより大きく丸い実をつけたクヌギの樹の林も今年
になって約2000平方メートルばかり、悲しくも失われま
した。平地での緑豊かな林を守るため、これらの土地に対す
る「固定資産税の免除」を考えたら、と提案します。

新田庄遺跡「新田庄遺跡」として、太田市の円福寺境内、十二所神社境
内、尾島町の長楽寺境内、世良田東照宮境内、総持寺境内、
明王院境内、新田町の生品神社境内、反町の館跡、江田館跡、
重殿水源、矢太神沼水源の11の遺跡が国の文化財保護審議
会の答申を受け、国史跡として指定されることになりました。
太田市域での今までの国史跡は、女体山古墳、天神山古墳、
金山城址、高山彦九郎宅跡遺髪塚でした。私たちの住んでい
るこの周辺地域は、遺物や遺跡も多く出土し、長期にわたる
栄枯盛衰、特に浅間山、榛名山の噴火にともなう火山灰や洪
水とのたたかいの歴史を積みかさねた街だということです。
今回の指定を機会に、国史跡という「点」だけでなく、線を
も結び、そして広域にわたって文化財と自然環境との調和を
考えた、文化の香り豊かな街づくりを進めてほしいものです。
先人の残した文化遺産を積極的に調査し、保存し、そして活
用して、破壊から守りたいものです。



基地のない沖縄「基地のない、静かな、平和な沖縄を返して」という女子高
生の訴えを聞いて心を動かされたのは私一人ではなかった。
11月19日、代々木公園で11万人の国民大集会が開かれ、
私も参加した。35年前、「基地をなくせ」「アメリカは日
本から出てゆけ」「安保反対」と連日連夜集会や街頭デモを
したのが走馬灯のように浮かんできます。悔しさと怒りと懐
かしさで血潮が再び燃えあがるのを感じました。村山内閣は
沖縄県知事の米軍用地強制使用のための代理署名拒否や県民
の願いを無視することが出来ないと判断するや、基地や演習
を本土の米軍や自衛隊の演習場に分散して実施しようとして
います。でもそれらをかかえる自治体は河川汚濁や騒音など、
自衛隊の実弾射撃ですでに沖縄と同じ痛みを感じているので
す。最近の国民世論は、米軍の駐留は「日本の利益になって
いる」が5%。「米国の利益になっている」が46%。米軍
は日本から「撤退すべきだ」が44%。

柿の実 熟した柿の実が年末になってもまだたくさん木に残ってい
るのを見かけますが、今年は豊作の年に当たっているようで
す。庭に柿の木のあるワラ家根の家という構図は日本の原風
景といえる程、なつかしさのこみあげてくる雰囲気をもった
ものです。以前にはどの家にも必ずといっていい程柿の木は
数本植えられており、柿に関する言い伝えも多く残っていま
す。「柿の豊年には渡り鳥が多い」「柿勧進(ムクドリ)が
来ると冬が近い」。オナガドリやムクドリは柿が大好きです。


私の家でも鳥のために数個いつも残しています。「柿が赤く
なれば医者が青くなる」「柿は歯の毒、腹薬」。甘さが歯に
悪いだけでなく、歯が黒くなる欠点があります。でもビタミ
ン類も多く栄養豊富な食品です。「柿は三月飯米」。柿を代
用食として飢えをしのいだ鹿児島地方の言い伝えです。干し
柿にして保存し、この地方でも非常用の食料として、また甘
味料として皮まで利用し、たくさんの人々を救ったことでし
ょう。


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