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1998年
金山 寒々とした冬の道端や畑の陽だまりで、春を待ちつつ可憐
に、小さな白い花を咲かせている「スズメのかたびら」とい
う、誰でも見知っているけれども、名前は知らないというざ
っそうがあります。ほんとうにいい名前をつけたものだなあ
と感心もし、親しみが増してくるから不思議です。いつの頃
か「新田山」といわれていた「金山」は、たくさんの山々か
らなりたっており、それぞれの名前がついています。私も全
部知っているわけではありませんが、地図に名前の出ている
ものや、全然聞いたこともないような名前もあります。頂上
に古墳のある八幡山、高山神社を祀る天神山をはじめ、茶臼
山、富士山、太郎四郎山、小八王子山、中八王子山、大八王
子山、東山、西山、裏山、十枚山、河渡山、瑞雲寺山、浅間
山、長手口山、長手山、毛無山、寺山、温殿山、古天神山(
根本山)、観音山、宝城山、亀山、塩ノ山、焼山、伊豆山そ
れに金山。それぞれに歴史を刻んできた山々です。

天神山古墳 東国第二の「船塚山古墳」とその周辺の遺跡群を守るため
に活動している茨城県石岡市の「国道6号線バイパスの路線
変更を求める会」の代表4人が「天神山古墳」を見たいとい
うので、風の強い日だったのですが案内しました。東国最大
のこの古墳は、今では外堀は埋められて見えなかったが、東
西約335メートル、南北約345メートル、約9万平方メ
ートルの面積で、馬蹄形をした前方後円墳です。盛り土した


土量は11万2000立方メートル、墳丘表面を渡良瀬川の
川原石で墓石しており、埴輪は野焼きされて作られたもので
大変な数量です。それに埋葬施設を作ったわけですから、そ
の作業量は計り知れないものです。まだその偉容は失われて
おりませんが、外堀は埋められ、後円部の方の堀は道路で分
断され、巨大な組合式長持石棺は掘り出されて壊されていま
す。南側の外堀の上には東武小泉線が走っており、墓石も持
ち去られ、墳丘の形も変形させられて、まさに「満身創痍」
の状態です。

日向義民 多々良沼の北、国道122号線の脇に「日向義民地蔵」が
小さなお堂の中に祀られています。今から三百数十年前は、
荒涼とした野原の中を「館林道」が太田に向かってのびてい
た所だったのでしょうが、今では家が建ち並び、自動車の激
しく行き交う場所に変化しています。重税に苦しむ農民を窮
乏から救うため、直訴して処刑された「小沼庄左衛門」等1
8人の義挙をたたえようと、地元の韮川地区住民が会員13
68人で、「小沼庄左衛門等義民顕彰会」を発足させました。
「太田民放」でも幾度かとりあげたことのある「日向義民」
だけに大変感慨深いものがあります。消費税増税、医療・年
金連続改悪、労働法制改悪などといった国民いじめの橋本内
閣の政策による9兆円の国民負担増、銀行支援の30兆円投
入など、失政によって深刻な不況の原因になっているのは明
らかです。「義民」の志を継承し、深刻な不況から国民を守


るため、力を出しあいましょう。

被災者支援「朋(とも)有り遠方より来たる」。以前となりに住んでい
た竹ちゃんが熊谷に仕事にきたついでに、神戸よりたずねて
くれた。一人娘が結婚し2人の孫のおじいちゃんである。若
い時分、私の家で「なんでもやろう会」というサークルに熱
心に参加してくれた真面目な青年だったのに、もうおじいち
ゃんである。神戸市北区小倉台の家を建てたのだけれど、「
阪神淡路大震災」にあったが、幸い被害がなくてよかったこ
と。その後「こころ豊かな兵庫づくり推進協議会」から委託
されて「フェニックス推進員」として「熟年者の健康と生き
がい」を目的に2年間ボランティアをやってきたことを熱っ
ぽく語ってくれた。「第一仮設住宅周辺の草むしり大作戦」
から「熟年者のフォークダンス」や「歴史散歩」「餅つき大
会」など多い時は1500人以上の参加者があった行事など
感動的な話でした。被災者支援のための緊急措置とともに抜
本的な支援立法の一日も早い制定が必要です。

札所めぐり 紫陽花の色の美しくなる頃になりました。アジサイは別名
「七変化」といわれるように花の色が変化しますが最近外国
からの改良種も輸入され、種類も多くなって楽しみです。ア
ジサイといえば梅雨。今年はエルニーニョ現象の影響で、春


から日照不足で、そのまま早目にツユ入りしてしまい毎日雨
が降っているような印象になっているこの頃です。雨で困る
のは、毎日犬の散歩やジョギング、歩け歩けの運動で健康保
持している人たちでしょう。最も基本的な運動は歩くことだ
ということで、今、自然探訪や観光、信仰も満足させてくれ
る「札所めぐり」がちょっとしたブームになっています。
「四国八十八カ所」「西国三三カ所」「秩父三四カ所」観音
霊場は有名ですが、太田では「七福神めぐり」があります。
いよいよ参議院選挙。まず「歩いて」足腰を強くしてガンバ
ルのが一番。小生も6月に入ってからの日本共産党の政策パ
ンフ、ビラの配布は3種類1800枚となりました。

820万人「国民が歴史を動かした」7月12日の参議院選挙。日本共
産党に投票した人、820万。15人が当選し、うち7人が
女性でした。翌日の13日、ポスターの掲示した所を一軒一
軒訪問し協力に感謝し、公約実現のためにガンバルことを話
しポスターを撤去して回りましたが、皆さんニコニコして出
てきて「おめでとう、よかったね」と言ってくださいました。
ポスターをはらしてくれるように頼んだ時には、あまり愛想
よく応じてくれなかった人も「ごくろうさん」と言ってくれ
た時は大変うれしくなりました。ポスターの掲示は電柱や公
共物、あき地などは利用しないで、個人の家の堀や壁にし、
必ず掲示から撤去まで責任をもってやるという信念でやりま
した。40カ所以上のポスターをはり5400枚のチラシや


パンフの配布、演説会への参加のよびかけ、住んでいる周辺
の人たちとの政治談議など忙しい毎日でした。国民一人ひと
りが「主人公なんだな」と実感した瞬間でした。
原水爆禁止世界大会 全国で10万人にのぼる「国民平和大行進」に参加し、群
馬代表団63人の一人として「原水爆禁止1998年世界大
会・広島」に行ってきました。広島に53回目の暑い夏がお
とずれ、今年もまた、この1年間に亡くなったり、死亡が確
認されたりした4927人を加えた計20万7045人分の
名簿が原爆死没者慰霊碑に奉納され、かえらぬ人々の名をし
るした灯籠が川面を流れていきます。インド、パキスタンの
あいつぐ核実験という新たな事態のなかでひらかれた今年の
大会は、高校生をはじめとする若い人たちの参加が目立ち「
世界諸国民の運動で核兵器のない21世紀を」という目標に
見合った若いエネルギーにあふれた「世界大会」でした。半
世紀以上は草木も生えないであろうといわれた広島の地も、
今では活気にみちた街に復興しましたが、新ガイドラインに
もとずく呉や岩国の軍港としての強化がすでにはじまってお
り、米国の核の傘の下の危険性が増大しています。

政党助成金 自民党の中島洋次郎衆議院議員が代表を務める同群馬県第
3選挙区支部が党本部から受けた昨年1年間の政党助成金の
うち、約860万円が同議員の後援会口座に送金されていた


ことがわかりました。日本共産党は国民の政党支持の自由に
反し強制的に税金を横取りする「政党助成金制度」そのもの
に反対し、95年にこの制度が導入されて以来、1円も受け
取っていません。97年度分の政党助成金総額は311億1
300万円、国民一人当たり250円になりますが、本来、
政党の政治活動に使われるはずなのに、政治資金収支報告書
によると、人件費や事務所費、政党基金への積立金などが支
出のほとんどを占めています。国民には新たな9兆円負担増
をおしつけ、塗炭の苦しみを舐めさせておきながら、中島議
員の政治団体の数千万円の使途不明金が発覚したり、その他、
不明朗な問題が次々と出てきたりで、政党助成金制度の害悪
を改めて浮き彫りにする結果となりました。

解釈改憲 憲法第九条の「解釈改憲」は幾度となく行われ、「国際貢
献」の名のもとに、自衛隊の海外派遣までもやられるように
なってきました。そして今度・・・。私の在学している大学
での「憲法入門講座」の講義でおどろくべき話がありました。
新ガイドライン(日米防衛協力指針)は実質的な安保改定で
あり、憲法九条の最悪の解釈改憲になりかねない。新ガイド
ライン関連法案によると、国際法違反のアメリカの軍事行動
に日本を自動参戦させるしくみになっており、憲法が禁止し
た戦争行為そのものを強制するものです。しかもその対象範
囲とする「周辺」とは事実上無制限、無限定です。しかも自
衛隊の出動にたいして国会の承認を排除し、それに自治体や


民間もふくめて、いろんな場所や施設を自由に使用できるよ
うにし、日本国民を危険な干渉戦争に協力させようとするも
のです。なし崩し的な憲法解釈はどこまでいくのか、先生は
心配顔で講義を続けていました。

金山城復元作業 久しぶりに故郷に帰り刀水橋の上まで来た時、上毛三山を
はじめ男体山がパノラマ状に広がり、その前にかわいらしく
金山が鎮座しているのを見た瞬間に「ああ帰ってきた」とい
う安堵感と故郷の懐に抱かれた暖かみを感じたのです。その
金山が平成4年度から発掘調査と復元整備をはじめ環境整備
事業が進められてきました。7日にはシンポジウム「よみが
えれ金山城」が開かれ、8日「金山城平成復活祭」が太田市
政50周年記念事業として、一部復元なった「日の池」周辺
で、「鏑矢放射」や「火縄銃演武」など古式ゆかしい内容の
お祭りが行われ、多数の参加者があり、大変なにぎわいでし
た。近世の城郭以前の、中世の山城としては珍しい金山にあ
る石を多用した、石積みをともなう戦国期の山城の復元作業
は大変だったでしょうがこれからも続く発掘、復元が楽しみ
です。史実にもとづき、しかも巾広い市民に利用できるよう
魅力ある活用が求められます。


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