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四国八十八ヶ所巡り

(第11番札所 ~ 第20番札所)
平成20年8月9日~10日
第11番札所 藤井寺
 藤井寺は真言密教の道場として栄え、七堂伽藍を構える壮大な大寺院として発展してきたが、天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失、江戸時代初期まで衰微した。その後、臨済宗の南山国師が入山して再興し、その折に宗派を臨済宗に改めたという。本尊は「厄除け薬師」として親しまれており、国の重要文化財に指定されている。

藤井寺・仁王門前で


第12番札所 焼山寺
 焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。

焼山寺・仁王門


第13番札所 大日寺
 大日寺境内は老樹に覆われ、密教寺院の雰囲気を漂わせている。戦国時代には「天正の兵火」により堂塔はすべてが罹災したという。その後、江戸時代の前期に阿波3代目藩主、蜂須賀光隆公により本堂が再建され、諸国に国の総鎮守・一の宮が建立されたときには、その別当寺として同じ境内にあった。

大日寺・山門


第14番札所 常楽寺
 四国霊場のなかで唯一、弥勒菩薩を本尊としている。弥勒菩薩は56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である。縁起では、弘法大師が42歳の厄年のころ、この地で真言の秘法を修行していたときに、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたという。

常楽寺へ向かう


常楽寺の境内


第15番札所 国分寺
 四国八十八霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」という。阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を彫造し本尊としている。

国分寺・山門・・・奥に本堂


第16番札所 観音寺
 寺伝では聖武天皇(在位724〜49)が天平13年、全国68ヶ所に国分寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816)のころで、本尊像などを彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。

観音寺・山門前で


第17番札所 井戸寺
 天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり、当時の寺名は「妙照寺」であったという。寺域は広く八町四方、ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり、隆盛を極めたと伝えられている。本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。

井戸寺・仁王門


第18番札所 恩山寺
 創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が草創して、当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜30)ころに建立された由緒ある建造物である。

恩山寺に向かう石段


第19番札所 立江寺
 高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願で行基菩薩によって創建された。勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。

立江寺・仁王門前で


第20番札所 鶴林寺
 樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781?806)の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。

鶴林寺・山門・・・鬱蒼とした雰囲気


第11番札所~第20番札所のスライドショー

(第21番札所 ~ 第30番札所)
(第31番札所 ~ 第40番札所)
(第41番札所 ~ 第50番札所)
(第51番札所 ~ 第60番札所)
(第61番札所 ~ 第70番札所)
(第71番札所 ~ 第80番札所)
(第81番札所 ~ 第88番札所)


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