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四国八十八ヶ所巡り

(第21番札所 ~ 第30番札所)
平成20年8月9日~11日
第21番札所 太龍寺
 四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにあり、「西の高野」とも称される。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという。

太龍寺・山門


第22番札所 平等寺
 大師が100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて山号を白水山、寺号を平等寺と定められた。

平等寺・仁王門


薬王寺へ向かう道中
 徳島のホテルを出発し、今日は高知市まで行かなければなりません。 第22番札所「平等寺」を巡り、薬王寺へむかいました。しばらく走っていくと、左側に 太平洋が広々と開けてきました。一直線の55号線で、美しい青い海原は、果てし無く続いておりこのまま海の中へ走って行ってしまうのではないかと錯覚しそうで、怖くなり、スピードをゆるめて、道路わきの空地へ停車したこともありました。

太平洋を望む

第23番札所 薬王寺
 「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場。高野山真言宗の別格本山でもある。厄除けの寺院としては全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段からなっている。

薬王寺・山門


第24番札所 最御崎寺
 「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。国指定重要文化財の石造如意輪観音半跏像が有名。

最御崎寺・山門


第25番札所 津照寺
 室津港を見下ろす小山の上にたたずむ「津照寺」(しんしょうじ)は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれている。弘法大師空海上人が四国御修行の砌、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号された。

津照寺・山門


石段の上に津照寺の本堂


第26番札所 金剛頂寺
 金剛頂寺は室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。ここから4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂もある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地でもある。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。

金剛頂寺・山門


第27番札所 神峯寺
 神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。

神峯寺・仁王門


第28番札所 大日寺
 聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。

大日寺に向かう参道


第29番札所 国分寺
 弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。

国分寺・仁王門


第30番札所 善楽寺
 この辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。

善楽寺境内から望む


第21番札所~第30番札所のスライドショー

(第31番札所 ~ 第40番札所)
(第41番札所 ~ 第50番札所)
(第51番札所 ~ 第60番札所)
(第61番札所 ~ 第70番札所)
(第71番札所 ~ 第80番札所)
(第81番札所 ~ 第88番札所)


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