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四国八十八ヶ所巡り

(第31番札所 ~ 第40番札所)
平成20年8月11日~12日
第31番札所 竹林寺
 神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じ、行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置したのが始まりという。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。

竹林寺・仁王門前で


竹林寺・本堂


第32番札所 禅師峰寺
 行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。大同2年、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師はその姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、ここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法されたという。このとき、十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とし、「禅師峰寺」と名付けた。

禅師峰寺・仁王門


よさこい祭りに出会う
 四国八十八ヶ所巡り中に高知市に入るとよさこい祭りが始まろうとしていました。道路は混むし目的地まで到達するのに苦労しましたが、思いがずよさこい祭りにも少し参加できて良かったです・・・。
 
 
よさこい祭りの練習風景



よさこい祭り本番・・・熱気を帯びてきました


第33番札所 雪蹊寺
 雪蹊寺は土佐湾の桂浜からほど近い所に位置し、その特色は四国八十八ヶ所霊場のうち、2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であるということ。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称したがその後、寺名が変わり再興したのが戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の法号から寺名が「雪蹊寺」と改められ今日にいたっている。

雪蹊寺


第34番札所 種間寺
 唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのが弘仁年間で、大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。天暦年間(947〜57)には、ときの村上天皇(在位946〜67)が「種間」の勅額を下賜されたという。

種間寺


第35番札所 清滝寺
 養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・繹木寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。その時、山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場としたという。

清滝寺境内の薬師如来立像


桂浜に立ち寄る・・・
 


土佐湾の風景

 
桂浜の坂本龍馬像

桂浜の海原


第36番札所 青龍寺
 弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのが大同元年(806)。その縁で、弘仁6年大師はこの地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺とした。

青龍寺・奥に三重の塔


青龍寺・本堂


第37番札所 岩本寺
 聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して造られた福圓満寺が前身とされる。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間で、大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置したという。

岩本寺・本堂前にて


第38番札所 金剛福寺 
 弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。

金剛福寺・仁王門前


第39番札所 延光寺
 行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造、これを本尊として開創された。弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)で、桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えた。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」である。


延光寺・仁王門

延光寺境内の赤亀の石像


縮毛湾の美しい海原・・・
 


縮毛湾岸


第40番札所 観自在寺
 愛媛県に入り、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる観自在寺です。寺があるこの町は美しいリアス式海岸の宇和海に面しており、弘法大師が大同2年に平城天皇(在位806〜09)の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したという。このとき、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を造って庶民の病根を除く祈願をされた。

観自在寺・仁王門前で


第31番札所~第40番札所のスライドショー

(第41番札所 ~ 第50番札所)
(第51番札所 ~ 第60番札所)
(第61番札所 ~ 第70番札所)
(第71番札所 ~ 第80番札所)
(第81番札所 ~ 第88番札所)


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