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四国八十八ヶ所巡り

(第71番札所 ~ 第80番札所)
平成20年8月16日~17日
第71番札所 弥谷寺
 人皇第45代聖武天皇の勅願により、行基菩薩が堂宇を建立し、光明皇后の父母の菩提を弔う為、『大方広仏華厳経』をお祀りし、寺院を創建したといわれてる。また、弥谷寺のある弥谷山は古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場(恐山・臼杵磨崖仏・弥谷山)の一つに数えられたとされる。

弥谷寺の山門


第72番札所 曼茶羅寺
 創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していた。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。そして、唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めたという。

曼茶羅寺・本堂


第73番札所 出釈迦寺
 出釈迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあるという。弘法大師が身を投じた場所は、足のすくむような深い谷底が待ち構えるが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景も広がる

出釈迦寺・山門


金刀比羅宮に立ち寄りました
 「こんぴらさん」と呼ばれて親しまれている金刀比羅宮にも立ち寄りました。石段の上りがきつくて有名ですが、何とか本堂までたどり着きました。


一之坂鳥居


金刀比羅本教総本部


大門・・・石段365段


飴屋さんは「五人百姓」と言う


社務所門


旭社・・・石段628段


金刀比羅宮・本宮に向う

本堂から下界を眺望


第74番札所 甲山寺
 甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。そして、寺の建立が進み、薬師如来を本尊として安置。山の形が毘沙門天の鎧、兜の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられたという。

甲山寺奥に本堂


第75番札所 善通寺
 善通寺の創建は、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺。弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されている。弘法大師誕生所である善通寺は京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてきました。

善通寺・山門


第76番札所 金倉寺
 金倉寺は、弘法大師の甥で天台宗寺門派の開祖「智証大師」が誕生した地。弘法大師が生まれた宝亀5年に智証大師の祖父・和気道善(わけどうぜん)が建立し、道善は「自在王堂」と名づけ、仁寿元年(851)11月に官寺となった際に開基の名をとって「道善寺」となりその後、「金倉寺」になったのは928年、醍醐天皇の勅命で、地名の金倉郷にちなんだ寺名となったようです。

金倉寺・仁王門


第77番札所 道隆寺
 和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。その後大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。

道隆寺・仁王門


第78番札所 郷照寺
 郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。その後、大同2年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。

郷照寺・太師堂


第79番札所 天皇寺
 天平年間に金山の中腹に、行基菩薩によって開創され、弘法大師によって荒廃した堂舎を再興されている。大師が弘仁年間(810〜24)にこの地方を訪ね、弥そ場という沢水が落ちる霊域にきた際、ひとりの天童が現れて閼伽井を汲み、大師にしたがい給仕をした。この天童は、金山を鎮守する金山権現であった。明治20年、筆頭末寺の高照院が当地に移り、金華山高照院天皇寺として今日にいたっている。

天皇寺・本堂


第80番札所 国分寺
 寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊とした。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。藩主・生駒氏や松平氏によって再興され、今に至るという。

国分寺・本堂


第71番札所~第80番札所のスライドショー

(第81番札所 ~ 第88番札所)


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